タスキギー梅毒実験
アフリカ系アメリカ人の人口比率が現在も圧倒的多数を占める (2010年国勢調査によると96%[1]) アラバマ州のタスキーギで、アメリカ公衆衛生局が主導し1932年から1972年まで実施された梅毒の臨床研究である。これは非倫理的な人体実験の一つとされている。
概要
この実験が行われたアラバマ州は現在でも保守性の強い地であり、黒人差別の激しい場所として知られている。タスキギーは元々黒人奴隷が働いていたプランテーションがあった土地であり、現在はほとんど黒人住民である。 この実験を主導したのはアメリカ公衆衛生局で、教育を受けていない貧しい黒人600人を対象に行われた。 この実験は被験者たちの治療を目的としたものではなく、梅毒を治療しなかった場合の経過観察をするために行われた。
最初
当初の実験では経過観察は6~9ヶ月とされその後はヒ素やビスマスあるいは水銀を使った治療が行われていた。(昔では梅毒にはヒ素や水銀などが有効とされていたが全くの根拠はなくむしろ病状を悪化させるものだった。)それらの治療薬を利用していたため、治療を目的としていたこの実験は失敗になる。しかし実験が梅毒の進行を無期限に観察する実験に方向が変わった。
ペニシリンの登場
1940年にフレミングによりペニシリンが発見され梅毒治療が可能になった。しかしペニシリンが発見されてからもこの実験ではペニシリンの利用はされなかった。それどころか被験者たちにはペニシリンの存在は知られていなかった。徴兵検査で被験者が梅毒と分かった時も公衆衛生局ではペニシリンの治療をさせないように妨害をしていた。
被験者
被験者となった黒人たちはこの実験のことを正しく知らなかった。 彼らは「悪い血液」と呼ばれる病気を治療しているのだと公衆衛生局に知らされていた。 被験者たちには無料の診察、食事、さらには交通費が出されていた。そのため被験者たちは快く受け入れている人もいただろう。
ユニース・リバース=
この実験に関わったものとして有名な黒人女性。看護師である彼女の役割は被験者たちが実験から離れないようにすることが役割だった。リバースは地元出身者でもあったため被験者も彼女を信頼していた。リバースはこの実験に40年間も携わっていた。
世間に晒される=
この実験が暴露されたのは1972年のこと、公衆衛生局の医師だったピーター・バウストンは以前から実験の問題性を訴えていた。しかしその願いは聞き入れられず続けられていた。そのためついにバクストンは、マスコミヘリークし1972年7月25日のワシントン・スター紙にタスキギーの実験の記事が載った。 そのニュースはアメリカ国内に広まった。政府は被験者やその親族に1000万ドルの賠償をすることが決まった。 また人体実験に関する規定や被験者の保護に関する法律が制定された。 この実験では100人以上の人々が梅毒やその合併症で亡くなった。また配偶者や子供への感染も確認されている。
参考文献
『【ゆっくり解説】アメリカ最悪の人体実験「タスキギー梅毒実験」【アメリカの闇】』https://www.youtube.com/watch?v=hOx1sYjMdwI&t=565s