川崎フロンターレ

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川崎フロンターレは日本の神奈川県川崎市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。

概要[編集]

1955年に富士通サッカー部として創部され、1999年にJリーグへ加盟。ホームスタジアムは中原区の等々力陸上競技場、練習場は麻生区の川崎フロンターレ麻生グラウンド。チーム名の「フロンターレ (Frontale) 」はイタリア語で「正面の、前飾り」を意味し、常に最前線で挑戦し続けるフロンティアスピリッツ、正面から正々堂々と戦う姿勢を表している。チームマスコットはイルカをモチーフとした「ふろん太」。

歴史[編集]

前史

1955年に創部された「富士通サッカー部」が前身であり、1972年に日本サッカーリーグへ昇格、1992年からジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ参加。1996年に「富士通川崎フットボールクラブ」へ改称し、11月21日に運営会社となる「富士通川崎スポーツマネジメント株式会社」を設立。

1997年にJリーグ準会員となり、名称が公募によって川崎フロンターレと決定された。

1997年 - 1998年 (JFL) 1997年

Jリーグ昇格条件の2位以内を目指すため、小浜誠二が事実上の責任者となる常務に就任。監督を富士通社員の城福浩からプロ契約の斉藤和夫へと交代し、選手では名古屋の中西哲生、平塚のベッチーニョ、横浜Fの桂秀樹、清水の向島建、横浜Mの小泉淳嗣等を獲得。

ブラジルのグレミオとの業務提携も発表した。現在のチームカラーが水色と黒なのは、グレミオのチームカラーを模した名残である。

最終成績は3位となり、勝ち点1差でJリーグ昇格を逃した。

1998年

ベットが監督に就任。鹿島から鬼木達が加わり、ヴァルディネイやツゥットなどのブラジル人FWが活躍した。前年は桐光学園高校からの新入団直後にグレミオにサッカー留学していた佐原秀樹も試合に出場し、社員選手でも川元正英や久野智昭がレギュラーでプレーした。準優勝となったが、J1参入決定戦1回戦の福岡戦でVゴール負けを喫し、Jリーグ ディビジョン2 (J2) への参入が決まった。