一言主神社

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一言主神社[編集]

茨城県常総市にある神社。一言明神(ひとことみょうじん)ともいう。正月3が日には例年15万人の参拝客が訪れる、茨城県西地域有数の初詣スポットである。 旧社格は村社。

祭神[編集]

祭神は一言主大神(別名・事代主神、俗に恵美須神とも)。

福の神としてのほか、商売・災禍・農作・縁結び・平和の神といわれ[4]、たった一言の願い事であっても聞き入れてもらえるという。一生に一度だけご利益を得られるという信仰もあり、非常時に家族が神社を訪れて祈願するという。

千葉・東京方面に多くの信者を持つ。神職は宮司1人、禰宜1人、権禰宜4人、非常勤の神主1人の計7人である。このほか常勤の修繕係1人とシルバー人材センターから雇用された清掃員2人がいる。

境内社[編集]

『茨城県神社写真帳』には、天満神社(菅原道真)、白山神社(木花咲耶姫命)、香取神社(経津主神)、稲荷神社(保食命)の4社が記されている。現在、香取神社と稲荷神社は香取社・稲荷社合社になっている。

現在の境内社は、大黒社(大国主命)、香取社・稲荷社(宇迦之御魂大神、経津主大神)、縁結社、合社(三峯神社を始めとする13社)の4社である。

合社の13社は、明治42年3月、旧菅生村に鎮座していた下記の神社(いずれも旧無格社)を合併したものである。三峯神社(日本武尊)、愛宕神社(軻遇突智命)、八幡神社(誉田別尊)、三王神社(大山祇命)、妙見神社(月読命)、天神社(菅原道真)、道祖神社(猿田彦命)、別雷神社(別雷命)、八坂神社(速須佐之男命)、大日孁貴神社(大日孁貴命)、白髪神社(猿田彦命)、浅間神社(木花咲耶姫命)、厳島神社(市杵島姫命)。

歴史[編集]

大同4年11月13日(809年12月23日)(平安時代) - 創建。大和国葛上郡、葛城一言主神社(現・奈良県御所市)より一言主神を迎える。創建の地は現社地の西方であり、怪光とともに雪中からタケノコが生え、三岐の竹になったという伝承がある。このため、「三竹山一言主神社」の異名を持つ。

長禄3年4月(1459年)(室町時代) - 荒廃していた社殿を、平将門の子孫で下総国の守谷城城主であった相馬弾正胤広が再建。

天文19年(1550年)(戦国時代) - 兵乱で拝殿が損壊。永禄年間には半焼。

万治2年(1659年)(江戸時代) - この頃より、葛城流からくり綱火(大塚戸の綱火、後述)が始まる。

元禄13年正月13日(1700年3月3日)(江戸時代) - 本殿を大規模修理(棟札あり)。

慶応3年(1867年)(江戸時代末期) - 拝殿が一般からの寄進により再建。

明治維新の後、神仏分離令により一言主神社を管轄していた善光寺が廃寺となり、当時の僧が初代神官となる。近代社格制度では村社に列する。

1909年(明治42年)3月、神社整理により大塚戸に祀られている13社を合併。

1970年(昭和45年) - 本殿の屋根を茅葺から銅板葺(檜皮葺風)に更新。