東京事変

提供: つれづれウィキ
ナビゲーションに移動 検索に移動

東京事変 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ナビゲーションに移動検索に移動 東京事変 出身地 日本の旗 日本 ジャンル ロック[1]スムーズジャズ[1] 活動期間 2003年 - 2012年 2020年 - レーベル EMI/Virgin MusicEMI Records 事務所 黒猫堂 共同作業者 井上雨迩 公式サイト 東京事変 トップページ メンバー 椎名林檎(ボーカル) 亀田誠治(ベース) 浮雲(ギター) 刄田綴色(ドラムス) 伊澤一葉(キーボード) 旧メンバー H是都M(キーボード) 晝海幹音(ギター) 東京事変(とうきょうじへん、英称:Tokyo Incidents[2][3]、Incidents Tokyo[4][5])は、2003年から活動している日本のバンドである。2012年2月29日の日本武道館公演をもって活動を終了したが、その後2020年に「再生」と称して解散時のメンバーで再始動することが発表された。所属レコード会社はユニバーサルミュージック。愛称は「事変」。


目次 1 概要 1.1 バンドメンバーについて 1.2 結成の経緯について 1.3 メンバー交代について 2 メンバー 3 楽曲製作 3.1 デモについて 3.2 作詞について 3.3 作曲について 3.4 編曲・プロデュースについて 3.5 レコーディングについて 4 来歴 4.1 デビュー前 4.2 バンド「東京事変」デビュー 4.3 メンバーチェンジ 4.4 2006 - 2008年 4.5 2009 - 2011年 4.6 バンド解散 4.7 解散後 4.8 再生 4.9 2〇2〇+X 5 ディスコグラフィー 5.1 シングル 5.1.1 CDシングル 5.1.2 配信限定シングル 5.2 スタジオ・アルバム 5.3 コンピレーション・アルバム 5.4 アナログ盤 5.5 映像作品 5.5.1 ミュージック・ビデオ 5.5.2 ライブ・ビデオ 5.6 参加作品 5.7 未音源化曲 6 ライブ 7 タイアップ一覧 8 脚注 8.1 注釈 8.2 出典 9 関連項目 10 外部リンク 概要 シンガーソングライターの椎名林檎を中心に、2003年に結成された5人組のロックバンド[6]。2012年2月29日の日本武道館公演をもって活動を終了[7]。その後、2020年に「再生」と称して解散時のメンバーで再始動することが発表された。

バンドメンバーについて それぞれが独自の音楽性を確立するプレイヤーで構成されており、ライブにおいてはCD音源とは異なった多様なアレンジが展開される。

はじめは椎名の表現者としての延命装置として生まれ、彼女が音楽と向き合って自身の音楽的成長を促すため設定したカリキュラムのようにスタートした[8][9]。そして伊澤一葉と浮雲が加入した際は、彼らのように「実力がある」と言われながらも普段はアンダーグラウンドやインディーズで活動している陽の目を見ない才能には、自分たちの内輪だけで循環するのではなくメジャーの場で勝負して欲しいと思い、自分の方から一緒にやってくれないかと誘った[10][11]。椎名の意識の変化に伴い、バンドも彼らを世間に通用させるまでの過程そのものをビジネスとすることを目的としたプロジェクトへと変化していった[10][11]。この過程について椎名は「学習機関に始まり(『教育』)、職業訓練校、研究室・実験室を経て(『大人 (アダルト)』〜『スポーツ』)、最終的にメンバー各々がそれぞれ独立して稼働できる生産工場となった(『大発見』)」と表現した[8][9][10][12]。

結成の経緯について 2003年当時、引退を考えるほど音楽活動の継続にモチベーションを見出せなかった椎名林檎が「メンバーたちのために書き下ろすつもりで曲を書けば意欲が湧くのではないか」と考えて結成[13]。当初は椎名のツアーのバックバンドとして稼働していたが、2004年からは本人が参加することで正式なバンドとして活動を開始する[14]。メンバーを決めたのは椎名で、普段からライブハウスなどを巡って探していた[15]。

メンバー交代について 2005年、所属バンド「PE'Z」での活動と両立できないとして、H是都Mが脱退を表明。新たに伊澤一葉の加入が決まった。またその間に晝海幹音もソロ活動に集中するために脱退することになり、代わって椎名の以前からの知人であった浮雲が参加することとなった。[13][16][17]

全国ツアー「dynamite!」中にはすでに2人の脱退は決まっていた。せめてピアノだけでも欲しいと思った椎名は生ピアノが弾けるキーボーディストを探そうとして、以前、H是都Mに紹介された伊澤一葉のことを思い出した。プレイヤーとしてだけでなく彼の楽曲も欲しかった椎名は、ツアー終了の翌日から早速彼の消息を探り始め、連絡がとれるとすぐに参加をオファーした。初めは「新しくバンド(あっぱ)を始めたばかりだし、J-POPの超メジャー・フィールドで自分がやれるとは思わない」などと断られていたが、最終的には彼の承諾を得て2005年4月末に加入が決定した。ギタリストについては、生半可なメンバーを入れるくらいなら曲ごとに最強のゲストを呼んだ方がいいとして当初は入れないことにしていた。椎名は多忙の亀田の代わりにキーボードの伊澤に自分のパートとベースラインを同時に弾いてもらい、ドラムの刄田との3人でリハーサル(音合わせ)を始めたが、伊澤に「CDにした時の作品が想像出来ない」と言われ、仕方なくギタリストを呼ぶことにした。色々試した中でメンバーが気に入ったのは2ndアルバムのデモで演奏していた浮雲だったが、個人的な音楽制作など椎名にとっては仕事にしない部分でのパートナーであり、ソロアルバムのレコーディングや東京事変のデモ音源の制作を手伝ってもらったり[注 1]、前メンバー脱退の際には相談に乗ってもらったりしていた彼を加入させることは、彼女にとってバンドに自分のエゴを持ち込むようで抵抗があった。彼の方も「誰も弾かなかったら俺が弾いてやるよ」と言うだけでなかなか自分の方からはやるとは言わず、結局、正式に加入が決まったのはアルバム『大人 (アダルト)』レコーディングのわずか2、3日前のことだった。[13][16][17]

交代後、アルバム『娯楽 (バラエティ)』の時点では、椎名個人ではなくバンドとしての表現ができるようになったのに今さら第1期、第2期(東京事変)と言われるのもどうかということでバンド名を変えようかという話が出たこともあったが、アルバム『スポーツ』の時点でメンバーの意識は「関係ない」「どちらでも構わない」「利用できるものは何でも使っておこう」という風に変わっていた[18][19]。